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横浜家庭裁判所 昭和60年(家)1116号 審判

申立人 曹桂華

主文

申立人が次のとおり就籍することを許可する。

本籍     神奈川県鎌倉市○○×××番地×

氏名     孫田桂子(筆頭者孫田立吉の妻)

生年月日   昭和21年1月3日

父母の氏名  不詳

父母との続柄 女

理由

1  申立の趣旨および実情

申立人代理人は主文同旨の審判を求め、申立の実情として次のとおり述べた。

(1)  申立人は、昭和21年、中国黒龍江省牡丹江市の王文波方において日本人を父母として出生したが、生母は分娩した申立人をそのまま王家に預け、自分は日本に帰国すべく立ち去つた。

(2)  その後、申立人は王文波に育てられたが、中国山東省に移り、事情があつて昭和33年ころから曹向健に預けられて養育され、同地内の小学校、農業中学校(中退)を経て就職し、その後、同じ日本人残留孤児である孫立世と知り合つて結婚し、一男一女をもうけている。

(3)  中国政府は、現在、日本人残留孤児に対し孤児証明書の発行を中止しているが、申立人は、同国政府公安局の調査により、日本人孤児と認定されたうえ、日本人孤児名簿に登録されており、また日本の厚生省援護局作成の孤児名簿にも登載されている。

(4)  申立人はこれまで日本の厚生省に資料を送り、肉親捜しをしてきたが、目的を達せず、今後日本人である夫とともに帰国永住したうえ、肉親捜しを行うことを念願している。

よつて本件申立に及んだ。

2  当裁判所の判断

(1)  本件記録中の申立人提出にかかる各資料、家庭裁判所調査官作成の調査報告書、申立人に対する審問の結果、厚生省援護局の資料によると、次の事実が認められる。

(イ)  申立人は、終戦の翌年である昭和21年1月3日、中国黒龍江省牡丹江市の王文波方で日本人女性を母として出生した。母たる日本人女性は終戦前までは旧日本軍(関東軍)酒保に勤務していたようであるが、終戦時妊娠していたため、帰国もせず、路頭に迷つていたのを王文波夫婦が家に入れて世話をし出産させたものである。申立人の父は日本軍人であつたともいわれるが、確実なことは判らない。申立人の母は申立人出産後1か月程王文波方にいたが、申立人を置いて同家を去つた。

(ロ)  申立人は王文波に育てられ、牡丹江市の小学校に入学したが、のちに王文波の息子(既に死亡)の妻梁玉清に引きとられ、中国山東省に移り、同地の小学校に通学した。しかし梁玉清が申立人をひどく虐待したため、見かねた近隣者の通告により、昭和31年7月、郷政府の裁決で曹向健、楊玉齢の夫婦が新しい養父母となり、申立人は同夫婦に引きとられた。

(ハ)  そして、申立人は昭和32年小学校を卒業し、農業中学に入学したが、養父の曹向健が山東省を離れ、牡丹江市に移つたので、申立人も学校を中途退学し、養母とともに牡丹江市に転居した。

(ニ)  その後、申立人は牡丹江市の食品店に就職し、店員、出納員、会計員などをして、現在に至つているが、昭和37年ころ、同じ日本人孤児である孫立世と知り合い、昭和42年に同人と結婚し、一男一女をもうけている。

(ホ)  申立人は、6、7歳のころから、近所の子供達から「小日本人」といわれ、うすうす自分が日本人であることに気付いていたが、山東省にいたとき梁玉清から日本人といわれ、曹向健夫婦の養子になつたときも近所の人から「曹は日本人の子を養子にした」などと噂をされた。そして、昭和57年4月、長年探していた王文波の甥の王洪文に会い、同人から自分が日本人女性から生れたことを聞いた。

(ヘ)  中国黒龍江省牡丹江市公安局外事科は、調査のうえ、申立人を中国残留日本人孤児と認定し、報告を受けた中国政府も同様の認定をし、同政府から通知を受けた日本政府も申立人を日本人孤児として取り扱い、申立人は厚生省援護局の作成した所謂孤児名簿に登載(孤児番号1082)されている。

(ト)  申立人は厚生省援護局による第8回中国残留日本人孤児の肉親捜しの一員として、昭和60年9月、来日したが、その目的を達することができなかつた。

(2)  上記認定事実にもとづき、申立人が日本国籍を有しているかについて検討するに、申立人の実父母が婚姻していたか、婚姻していなかつたとすれば父から認知されていたかという事については、婚姻の点は明らかではなく、認知の点は勿論認められないから、申立人が日本人を法律上の父として出生したということはできないが、申立人の出産の状況や中国公安局の調査で申立人が日本人孤児と認定されている事実から、少なくとも母が日本人であることは認められるので、申立人は出生によつて日本国籍を取得したものというべきである。

(3)  次に申立人は現在中国国籍を取得しているが、これは申立人が中国人夫婦の子として育てられ中国人として処遇されてきたことによるもので、申立人自身、自己の意思にもとづき中国国籍を取得しようとした事実は認めることができず、他に申立人が出生によつて取得した日本国籍をその後に喪失していると認めるに足る資料はない。

(4)  申立人は、上記のとおり、肉親捜しの努力をしたが、未だにその身元を判明することができず、したがつて本籍は不明である。そうすれば、申立人は日本国籍を有しながら本籍の有無が明らかでないことになるから、就籍を許可すべきである。

(5)  そこで、本件申立を相当と認めてこれを認容することとするが、夫の孫立世も申立人とともに就籍許可の申立をなし、孫立世については当庁において就籍が許可になつているので、同人を戸籍の筆頭者とする。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 芥川具正)

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